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感じたこと経験したことを「あなた」に知ってもらうためのブログ。

〜サンティアゴ巡礼の記録〜 出会った人まとめ 中盤

こんばんは


今日も巡礼で出会った人まとめます。

中盤 ブルゴス〜アストルガ(Burgos〜Astorga)


〈巡礼4回の猛者(チームJAPAN)〉 カストロヘリス(Castrojeriz)
チームJAPANからかなり離れて1人最後尾を歩いていた人。
初対面の人の肝が小さいことを「ちんこが小さい」と形容する。
いきなり罵られたのに、相手がキックボクシングをやっていると知って言い返せない自分のちんこの小ささは否めない。
でも初対面の人に言っていいことと悪いことをわきまえていないこいつに天罰が下りますようにと願った。
でも実はそんなに悪い人ではない。

〈韓国人家族〉 フロミスタ(Fromista)
初日か二日目にぶち抜いてからまさかの再会。
そして、例の荷物宅配サービスを利用していた。
再会してからおばあさんが私に韓国語で話しかけてくるようになる。
そして、娘が日本語を話せることがわかる。
そしたら初日に話しかけてくれ…なんて思ったり。

〈山本くん〉 ベルシアノス(Bercianos)
やっと出会った奈良県の大学生。
夏休みには鹿児島から青森まで自転車で行くようなど変態。
歩くペースが異様に速く、息を切らしながら歩く。
私たちより5日も遅くスタートしたのにここまで追いつく驚異のペース。
そして、1人で生き抜くことができる精神力。
この子は根性の塊ですわ。

〈韓国人の人〉 
詳しいことはわからないけど、この人は歩くのが早いけど誰かの後ろにべったり張り付いて、道を譲るまで先に行かない。
まるで煽り巡礼。
張り付かれたくなかった私は、坂道でぶっちぎろうとして軽く競争になった。


中盤はあんまり何もなかったけど、フランスパンのかわりに1€で8個売ってる菓子パンを持ち歩くようになったかな。

〜サンティアゴ巡礼の記録〜 出会った人まとめ 前半

こんばんは


今日から3日間は巡礼で会った人たちのことを書き留めようと思います。


前半 サンジャンピエドポー〜ブルゴス(St-Jean-pied-de-port〜Burgos)

〈韓国人青年〉 サンジャンピエドポー
会った瞬間連れとタバコを分かち合った人。
最初は印象悪やったけど、思ってたよりいい人。
初めて喋った巡礼者やったから、勝手がわからなかったけど、一旦別れてブルゴスで再会した時は、昔の友達に会ったような不思議な感覚があった。
巡礼事務所で受付してる時からカメラをずっと回してたから、YouTuberかと思ってたけどそうではなかったらしい。

〈韓国人親子〉
息子と母親。
初めて入ったアルベルゲからずっと2人でいて、晩飯時にはワインを購入していつも飲んでる。
なぜか息子の方がしんどそうに歩く。

〈韓国人家族+1〉 ロンセスバージェス(Roncesvalles)
娘、母、祖母の三人家族。
最初に出会った時は三人+若い女性と一緒だったので4人家族かと思っていた。
おばあちゃんはたぶん足腰強くないから、母と娘がおばあちゃんの荷物を背負って歩くという、1.5倍のしんどさで歩いていた。
すぐにぶち抜いて再会するのは中盤の話…

〈いびき髭男爵〉 ビリャーバ(Villava)
こいつ死ぬんちゃうか?ってくらいいびきがうるさくて、めっちゃ歩いた日に全然寝れんかったもんやから攻撃してやろうかと思いましたね。
その後何日間かはいびきがトラウマになった。
バイクで巡礼していたらしいので、その日が最初で最後だったのが良いのか悪いのか。。。
なんやねんバイクで巡礼て。

〈マウントおじさん〉 プエンテ・ラ・レイナ(Puente la Reina)
初めて会った日本人のおじさん。
会話した第一声が「その英語力じゃ女は落とせない」で、それ以来たびたびマウントを取ってきたのでマウントおじさんというあだ名をつけさせていただいた。

〈韓国人老夫婦〉
韓国人の若者は髪型とかでわかるけど、老人は日本人との見分けがほとんどつかない。
おばあさんが歩くのがめっちゃ速くて、何度も抜かされた。

〈ダン(チームヨーロピアン)〉
イギリス人の23歳。
身長が193センチでコブクロの黒田さんと同じ。
生粋の陽キャラでみんなと話す。
詳しいことはわからんがパティシエらしい。

〈マーラ(チームヨーロピアン)〉
19歳のドイツ人。
初めてちゃんと喋ったヨーロッパの人。
数少ない年下なのに巡礼が3回目という猛者。
SNSもやってないし、アルベルゲでは本を読んでることが多い硬派な人物。

〈パトリシオ(チームヨーロピアン)〉
25歳?のイタリア人。
アクセントが他の2人よりも独特な印象。
いかつい見た目の割に親しみやすく、ナルトが好きらしい。
ログローニョで別れて2日後にバルセロナにいたので本当に巡礼してたのか巡礼が終わったのかいまいち不明。

〈りゅうせい(友達)のおかんみたいな人〉 ログローニョ(Logroño)
ちょっとゴージャスな感じで1人で歩いている婦人。
私たちの拙い英語力では「5€やるから私の荷物運べ」と言われているのかと思ったが、私たちにアルベルゲまで荷物だけを先に送るサービスが5€であるよと教えてくれていたのだった。

〈韓国人カップル〉 ナヘラ(Najera)
若いカップル。
韓国人は韓国人で固まってることが多いけど、この人たちはヨーロッパのダンディなおじさんたちと一緒にご飯を食べたりしていた。
私の杖とひょうたんをナイスだねと褒めてくれた。
ひょうたんはその3日後に割れた。

〈マリちゃん(チームJAPAN)〉 ブルゴス(Burgos)
ブルゴスで会った日本人大学生集団の1人(チームJAPAN)
東京の子で、「やっぱり東京の学生は元気があるなぁ」と思うほどフレッシュだった。
が、同い年。

小笠原諸島の子(チームJAPAN)〉
27歳くらいに見えたけど同い年。
小笠原諸島出身らしく、小笠原諸島に人が住んでいたことに驚いた。
小笠原諸島は東京の島なので一応東京出身と言っていることが少しムカつく。


前半中盤終盤を思い返してみて一番濃いのはなんだかんだ前半なんかなとか思う。
続きは明日です
おやすみ💤

出会いと別れの旅 día33 〜サンティアゴ巡礼の記録〜

こんにちは


ただいま16時35分サンティアゴ・デ・コンポステーラ空港。

今日で巡礼が終わった。
朝はできれば清々しい気持ちで目が覚めて欲しかった。
今朝は今までで一番良くない目の覚め方。
昨日、後悔ないようにバルにはしごしていっぱい飲んだせい。
寝る前に靴下を5本指に履き替えるという巡礼中についた習慣は、最後の最後までやっていたのが少し嬉しかった。

朝起きた時にはスペインでは非常事態宣言が発令されていた。
その影響か、サンティアゴ・デ・コンポステーラは巡礼中通りすぎる村と同じくらいゴーストタウンとなっていた。
バルもカフェテリアもレストランも全部休業。
朝はカフェテリアに行ってcafe con lecheを飲むというルーティーンは最後の最後にできなかった。

巡礼路を通ってサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に行く。
私たちの目的は、サンジャンピエドポーからフランス人の道を通ってサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に行くことだった。
それが31日間の旅を経てやっと達成された。
本来ならば12時からミサがあった。
巡礼事務所に行って巡礼証明書を受け取るはずだった。
大聖堂の近くの5つ星ホテルのピルグリムメニューを食べようと思っていた。
でも全部叶わなかった。
大聖堂を目の前にしても、入れないのであればレオンの大聖堂と同じ。
皮肉なことに今日はすごく天気が良かった。

終わりはかなり味気ないものになった。
でも今回私と連れが行ったのは、旅行ではなく旅である。
旅行は点で旅は線だと連れが私に教えてくれた。
私たちはただサンティアゴ・デ・コンポステーラに行って終わりではない。
そこに至るまでの過程が一番大切で、最後のミサも巡礼証明書もピルグリムメニューも全部おまけに過ぎない。
私たちには一番大切な31日間があるのだから。



この31日間は出会いと別れの旅。
写真を見ればつい昨日のことのように思い出す。
もしかしたら旅って出会いと別れが前提にあるのかもしれないが、この巡礼旅はそれを肌で感じさせてくれた。

訪れる街は一期一会。
朝出発した時は今日の目的地でも、到着すれば明日の出発地。
明日になり歩き終わると今日の出発地はもう思い出の街。
目的地に着くのが街との出会いで、出発するのが街との別れ。
私たちは行った街にはもう戻らない。
これは街に関しても人に関しても同じ。

アルベルゲのオーナーは十人十色。
めちゃくちゃ愛想の悪い鼻ピアスのおばさんもいれば、めちゃくちゃ愛想のいいフランクなおじさんもいる。
ネコがいるアルベルゲと庭があるアルベルゲはだいたい当たりで、設備も人もよかった。
一番思い出に残っているのはやっぱりドイツ人老夫婦。
たくさん優しくしてもらい愛を感じ、別れが寂しくなったのは巡礼中あの日だけ。
「ホスピタリティ」という言葉はこういうことかと身に染みて分かった。

出会いと別れは巡礼路にもある。
巡礼を始める前は、「冬の巡礼ではアルベルゲに5人以上人がいたら多い方」と言われていたけど、5人以上いる日がほとんどだった。
最初は話しかけづらかった人もたくさんいるけど、話してみるとすぐに打ち解けられた。
仲良くなって一緒に歩いても、ペースが一緒ではないし、泊まる街、アルベルゲもずっと一緒ではない。
だから前半、中盤、終盤で出会う人、仲良くなる人は全然違った。
せっかく仲良くなったのに別れてしまうのはとても寂しく、もっと一緒にビールを飲めばよかったなぁと後悔したものだ。



サンティアゴ巡礼は人生の縮図。
私は中学受験に失敗し、中学、高校ともに剣道と勉強の文武両道を目標にしていたけど、とくに部活の方は満足した結果は残せなかった。
今回の巡礼に関しても、私は最初にフィステーラまで歩くという目標があった。
この目標はコロナのせいではなく、自分の弱い心のせいで達成できなかったと思っている。
でも、別にいい。
中学受験に失敗したこと結果的によかったし、いい仲間に巡り合えた。
剣道で結果が残せなかったのは悔しかったけど、剣道に重きを置いた文武両道であれば、今ごろ広島大学には在籍していなかったかもしれない。
大学受験で本来の第一志望を受験できなかったことに関しても、特に不満はないし楽しく生活できている。
サンティアゴ巡礼は立てた目標の少し下までしか達成できない私の人生を表していた。
フィステーラまで歩けなかったことは、全然悪いことだとは思っていない。
「出た結果が一番いい」のだから、これが最善に決まってる。
これだけの距離を歩いたということは、中途半端な人生で人に誇れることなのではないか。



日本にいる時から色んなアドバイスをしてくれて、最後まで一緒に巡礼してくれた連れ。
本当にありがとう。
感謝しても仕切れない。
一生の経験ができました。



「人生変えたる!」と思って巡礼したけど、この31日間で私の人生は変わっただろうか。
人として成長できただろうか。
授業、バイト、サークル、勉強、人付き合い、色んなしがらみから時放たれてひたすら歩き続けるという経験は今後もうないだろう。
約1ヶ月間を海外で過ごすという経験は人生初で、日本に帰って自分にどんな変化が起こるか非常に楽しみでありんす。
日本に帰ったら気持ちを新たに、主体的に頑張っていきたいと思う。


今日の歩数11952歩。
サンティアゴ巡礼の記録 完