「あなた」の心の中で生き続けたい

感じたこと経験したことを「あなた」に知ってもらうためのブログ。

『夜と霧』②

最近は学祭の準備に追われていて

読書がほとんどできていないが、

また読んだところまで『夜と霧』について書こうと思う

(一週間に一冊読むという目標は達成できなかった(ノД`)シクシク)

 

前回

shinhashi.hatenablog.com

の文末で

著者は一人の人間として正常とは言えないと思った

と述べた

 

本日はそのことについて書こうと思う

 

 

 

著者は

 

人間の魂は環境によって規定されると考えると

 

収容所のような特異な社会環境では

人間の行動を強制的な方にはめるかもしれない

 

つまり、

収容者はいつ終わるかもわからずに

肉体的にも精神的にもしんどい労働をし続ければならないという環境で、

目的を持って生きることができず、

未来を見据える能力を失い、

精神崩壊して感情を失ってしまう、

という型にはめられる

と考えられるが、

 

実際にそうあるしかなかったかというと

そうではなく、

収容所生活の中で、

感情の消滅を克服し、

自分を見失わなかった人もいなくはなく、

一見どうにもならない極限状態でもそのようなことがあったのだ

 

と述べている

 

つまり

人間はどのような環境においても

自分がどうあるかということを

自分で決められるということだ

 

さらに

そのような人は、

明日生きれるかもわからないという環境で、

精神的にも肉体的にもつらい労働を毎日こなすという困難をも

内面の成長に変えられるのだという

 

 

これらを踏まえると、

正常者は今の拙者たちや著者

異常者は感情を失った被収容者

正常な環境は今の拙者たちが暮らしているこの環境

異常な環境は収容所の環境

とすると

 

正常な環境で正常であるのは正常 拙者たち

(正常な環境で異常であるのは異常)

異常な環境で正常であるのは異常 著者

異常な環境で異常であるのは正常 感情を失った被収容者

であると考えられる

 

著者の視点では

「収容所」という異常な環境を正常であると考える他ない

という大前提が拙者たちと異なる

 

著者は

感情を失う反応も正常で、

もちろん自分の反応も正常であると考えられ、

要するに被収容者全員が正常であると考えているのだ

 

つまり、

感情を失った被収容者も、

著者のように内面を成長できた被収容者も、

心の強さ弱さに関係なく、

自らの選択によりたどり着いた結果であるということだ

 

 

あまり読み進めていないうちは、

著者は正常ではないし、

正常ではないから生き延びれた

と、思っていただけであったが、

読み進めていくうちに、

人には選択する権利が与えられており、

その限りでは誰も人に価値をつけることはできないのだと理解した。

 

 

つづくかも