考えると感じる2
こんばんは
以前こんなブログを書きました。
今日書くことはその続き?です。
考えている人って、会話するときにも細かい部分に気づいて広げられるし、だから普通の会話でも面白いそんなことを今日一日過ごす中でふと思いました。
拙者は考えることは結構苦手です。たぶん。
そこでそもそも拙者がなぜ考えないかということについて考えてみました。
現代はネットが普及してほしい情報や、求めていることが簡単に手に入る時代です。
だからまず、わからないことがあったときに、「自分で考えて」の前に「自分で調べて」となるんですね。
すくなくとも拙者はそうですし、友達とかに、これってどういうこと?って頼られたりしても、自分で調べたらいいのになんて思うこともしばしばあります。
言いませんが。
でもその調べたら知りたいことが簡単に手に入る状況って考えることをやめさせていると思いませんか?
実はよく考えればわかることでも先人たちの知恵はすごいので調べたらすぐに分かってしまいます。
今日友達がポケモンでしばりプレイをやっていると言っていました。
どんなしばりプレイかというと、ポケモンセンターやフレンドリーショップに行かないということ。
要するに、ポケモンバトルをして傷ついたポケモンを施設に行って回復させずに、さらにお店に行って回復の道具を買わずに殿堂入りまでするということです。
そもそも答えはありませんが、傷ついたポケモンをどう回復させるかなどしっかり考えなければ、簡単にゲームオーバーになってしまいます。
先人たちの知恵は素晴らしいものですが、やっぱり考えることも大切だと思いました。
なんかめちゃまとまり悪い気がしますが、ちょっと寝たいので寝ます。
それではまた明日。