目を見て話して
こんばんは
今日も大学生ならではのことを。
今日で後期一週目の授業が終わった。
「失速野郎」の拙者は後期の出だしは素晴らしく、ほとんどの授業を前の方で受けて、集中力を保ち続けた。
前の方で受けていたのは、来るのが遅くて後ろの方の席がほとんど埋まっているからというのは内緒の話。
2週目、3週目にもなると集中力はなくなって、だらだらと授業を受けているのだろうなぁ。。。
1週目だからだいたいの授業はおもしろく感じる。
これは毎度のことだ。
学期末でも拙者が楽しめる授業はほとんどない。
授業の内容において担当の先生の存在はとても重要だ。
おもしろい先生なら授業も面白いし、つまらない先生なら退屈しながら授業を受けてしまう。
昨日は教育学部の授業を受けていた。
その授業の担当の先生は他の先生とは少し変わっていて、とても話が面白かった。
さすが教育学部の先生だと思ったし、先生が話しているときに本音が見えた気がして、人としてもとてもすばらしい先生なんだろうなと思った。
ここまでは授業のオリエンテーションの話。
しかし、いざ授業に入ると、気づけばうつらうつらしている自分がいた。
さっきまであんなに面白かったのに、なんだか急につまらなくなった。
その後の授業。
ドイツ人の先生の授業だった。
話自体はそんなにおもしろいわけではないが、なぜか頭に入ってくる。
以前にも一度その先生の授業を受けたことがあったのだが、なぜかわかりやすい。
変わって、今日の授業。
今日の授業の先生は、明るく話す先生だった。
でもそんなに頭に入ってこない。
聞いているつもりでも気づけば違うことを考えている。
この3人の授業を比べてみて一つ気づいたことがある。
おもしろい先生(おもしろかった先生のおもしろいとき)、わかりやすい先生はスライドや資料ではなくて、生徒一人ひとりを見て話す。
一方、おもしろくない先生(おもしろい先生のおもしろくなかったとき)、わかりにくい先生はスライドや資料ばかり見てこちらにはあまり目を向けない。
目を見られなければ、一方通行の授業のように感じてしまう。
相手の反応を見ながら話すから、拙者はわかりやすい、おもしろいと感じていたのである。
これは自分なりにすごい発見だった。
もし人前に立って話す機会があれば、一人ひとりの目を見て話すことを心がけようと思う。
それではまた明日。