反省は「させられるもの」ではなく「するもの」
こんばんは
拙者が高校1年生の時に、
剣道部同期のA君B君C君が
同じく同期のD君のtwitterのなりすましアカウントを作って、
めちゃくちゃするといった事件が起こりました。
そのことが発覚して学校で問題となって
A君B君C君は二週間の家庭謹慎となりました。
拙者の高校では、家庭謹慎になった生徒には
毎日反省文を書かせるということを義務付けておりました。
この事件を口実に剣道部をやめた、
拙者の親友で剣道部で一番クレイジーボーイだったA君は
「一切反省することはありません」
と書いて提出して書き直しをさせられたらしいです。(笑)
反省することがなくてもそんなことをする度胸がすごいですよね
この言葉で彼がどれだけ反省していなかったかがわかりますね
本来反省とは、きっかけはどうであれ自分で「するもの」であるはずなのに、
この事件では先生に「させられるもの」になっています。
反省させられるて身につくことは、
反省したふり のみで、他に何もないと拙者は思います。
自分の行動が変わるのは「させられた反省」ではなく、
「した反省」だと拙者は思っています。
大事なことは、反省を「させる」のではなく、「する」ように導くことです。
多分これが難しいのですが、
この考え方が、子育てや教育や刑務所などで広まったらいいのになと思います。
今日予約しようと思っていた「人志松本のすべらない話」をまた予約し忘れたので、
反省して、次に生かしていきたいと思った拙者でした。