2年の後期から教員免許を取るという決断 弐
こんばんは
今日は昨日の続き。
なぜ教師になりたいのかという話。
教師になりたい理由は2つある。
1つ目は生徒の成長する姿が見たいから。
人は変われるもので、まして「自分」がまだまだ確立していない学生の時期には可能性は無限大にある。
将来の幅は本当に無限に広がっていると思っている。
でも、その可能性を引き出すのも、潰すのも関わっていく教師次第だ。
だから拙者は可能性を引き出せる教師になりたい。
そう思うようになったのは、おそらく『ROOKIES』の影響が大きい。
漫画上の架空のキャラクターでしか無いが、川藤先生のような「人を変えられるような教師」に強く憧れるし、そうなりたいと強く思う。
2つ目は受験至上主義に疑問を持ったから。
拙者は受験至上主義と呼んでいるが、「難関大学合格に最も重きをおいた考え方」のこと。
別に難関大学合格を目指すことは悪いことではない。
実際自分もそうだった。大学に合格するための授業を受けてきた。
でも、大学に合格してから、ブログを始めた影響もあって、見えていなかったことがたくさん見えるようになった。
思考が深くなったと実感するようになった。
今まで国数英理社の5教科のことしか考えてこなかったが、世の中は5教科の枠に収まるほど小さくはない。
今までの受験勉強は表面を撫でるばかりで、本質に行き着くことはなかった。
実際に教育学部の講義で、文章を読んでも内容をちゃんと理解できるような授業がなされていないと問題視されていた。
さらに受験に自分の考えは不要とされ、文章の中から、数字の中から、歴史の中から、科学の中からしか正解を要求されなかった。
そのせいで、想像力や思考力が育たなかった。
もう一度言うが、難関大学合格を目指すことが一切悪いことだとは思わない。
それを教えている教師が間違っているとも思わない。
ただ、拙者に合わないだけ。
5教科以外のことを考えるのは大学に入ってからでもできる。
でもできることなら5教科の枠に収まらないことをもっと早い段階から教えてあげたい。
だから拙者はもっと物事の本質を、自分の意見を学び求める授業がしたい。
できれば受験とは無関係のところで。
再来年のセンター試験廃止で勉強法、授業のやり方等従来のものから色々変わってくるだろう。
その点で教育は以前より拙者が求める方向に進んでいる。
でも、自分の人生をかけて必死にやっている人には、拙者が望む授業は求められないと思う。
担当になれば精一杯尽力するつもりだが。
拙者が教師になりたいのはこの2つの理由。
ただ、昨日も書いたとおり、2年の後期からというハンデがある。
無事に教師になれるように精一杯今を駆け抜けていく。
それではまた明日。